28歳で毒親と毒兄から離れることができた話~その2~

 皆様、こんにちは。

今回は、久しぶりに毒親の話をしたいと思います。

 

私は、毒親と毒兄から離れて約2年になります。

私は元々住んでいた場所から、遠方の土地に移住しました。

今考えてみると、移住して良かったと思います。

(最初は移住した環境に慣れるのは大変でしたが、、)

 

毒親と毒兄弟は粘着質な一面もあるので、元々暮らしていた場所から遠く離れた場所

に行きたいと思い移住という決断をしました。

 

毒親と毒兄から離れて生活してみると、最初に毎日が平穏に過ごせることって幸せだなと思いました。

 

普通の家庭に育った人は、毎日のびのびと過ごせることって当たり前だと思います。

 

でも、毒親育ちの私は、それがのびのびと過ごすことができませんでした。

私の実家では、毎日のように家族の喧嘩が絶えませんでした。

平日でも休日でも構わず喧嘩をし、自分の時間を持つことがあまりできませんでした。

 

 

外に出たくても、家のカギを渡されていないかったので、自由に家を出ることが出来ませんでした。

(勝手に家を出てしまうと、家に帰るときに鍵を開けてくれないため)

兄は家の鍵を持っているのに、私は鍵をもっていないという、、(+o+)

 

私も家の鍵が欲しいと母親に言ったら、あなたには必要ないと言われました、、(笑)

 

必要ないってなんなん、、って思いつつも、私の母親は変わらないから仕方ないと心の中で割り切っていました。。

 

本来なら家は休息できる場所なのに、自分の休める場所がない、、

悪循環でしかない環境でした(*_*)

 

どうして、悪循環な環境になってしまうのか。

父親は基本的に家族に興味がないので、過干渉な母親を野放しにしていました。

家への帰りも遅く、家族のことはどうでもいい。

でも、子供が自分の思い通りに育っていないと怒る。

(この点は母親と一緒ですね)

 

父親は、母親の過干渉を止めることさえしてくれない。

すると、母親の過干渉は、ますますヒートアップしていきます。

 

過干渉は、何年、何十年と続くのです。

子供が成人してようが、構わない。

だって、母親は子供を使って、自分の第2の人生を歩みたいと思っているのだから、、

 

家庭というものは、外からは見えにくいです。

子供は親の言うことが絶対なので、自分の親がおかしいと気づくのに時間が掛かります。

私も毒親と毒兄と離れるのに、随分時間が掛かりました、、

 

今は、自分を幸せにするのも守れるのも、自分しかいないと思っています。

私は自分を守るために、毒親から離れる決意をしました。

 

もし毒親と離れるか悩んでいる人がいるなら、私の話が少しでも参考になれば幸いです。

次回も毒親と毒兄の話をしたいと思います。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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